2010年2月25日木曜日

師匠は弟子


パソコンは便利だ

お陰様でキーボードは触れる。

インターネットで検索もできる。

エクセルも何とかそれなりにできる。

ワードがイマイチ使いこなせない。

でも一太郎はこなせる。

フォトショップもOKだ。

スカイプも何とかOK 便利だ。

Youtube  チョット?

ブログ    チョット?

Twitter  イマイチ理解できない。

そこで弟子の登場です。

反命令でご指導いただく。

ありがたいことです。

もしも 時代が変わらなければこのような逆転の現象はありないし

現実として非常に便利になった。

もっと もっと時よ変化してくれと思う。

オードリーヘップバーン グレスケリー 石原裕次郎 舟木一夫 etc

白黒のテレビが家庭に普及し始めた頃の画像はYoutubeで全て観る事ができる。

当然、今日の情報も、取引 翻訳 全てOKだ。

弟子達より早く生まれて良かった。

これだけの情報がPCから得られるなら、私の記憶は全て無くしてもかまわない。

どんどん新しくなってくれ!!

弟子達よ迷惑をかけるが、これからも おしえてチョウダイ。

よろしく先生諸君。


2010年2月24日水曜日

造花


最近の造花は素晴らしい。
1m離れれば本物と区別がつかないほど繊細にできている。
その造花に技術革新が起きようとしている。
私達生産のプロでも触らなければわからない品物だ。

凄すぎる。

感動だ。

私は花の生産に40年かかわってきた。
その一方で育種にも興味を持ち、約30年間理想の花の開発に携わってきた。

丈、大きさ、色、花持ち全ての条件をクリヤする花を作るのは大変な事であった。

時間がかかる。

バイオ技術が進歩した現在でも同じだ。  日数がかかる。

最低10年は必要だった。(胡蝶蘭の場合)

新しい商品としてデビューし評価されれば、直ぐコピーが出回り、ダメなら破棄。

夢のある仕事ではあったが現実は我慢の連続だった。

もう少し時間をかけず、開発できたら? 夢の花が提供できたのに

残念。

そこで提案です。

現在の造花は、本物の花たちをベースに製造されていますが、

この流れではおもしろくありません。

偽物はあくまで偽物です。

造花が花の世界のイメージリーダーになる。

このように考え方を変える事はできませんか?

花の世界には、育種を何十年してきた人の頭の中には理想の花はいっぱい詰まっています。

植物の生理、生態全てを理解している人達が

理想のモデルフラワーをつくる。

そしてモデルフラワーをベースに本物を開発する。

コピー商品的な発想から  夢の花へ

コラボレーションしませんか?


2010年2月23日火曜日

ミツバチからみた花の魅力

最近、ミツバチが少なくなり
世界的な食料難の話も出てきている。

昔は
レンゲ、菜の花にミツバチ、蝶々がいっぱい集まってきた。

最近は
一年中、ビニールハウス、温室で野菜、果樹、花が生産されている。
常識的に考えれば、ハウス内に密の山ができてもおかしくない状態だ。

なぜだろう
美味しい蜜なら、ミツバチは1k~2kmは移動できるのに

ミツバチ達にとって最近の花は魅力的ではなのかな?

人の好みの植物に改良されたが、ミツバチにとっては魅力的な花は無いか、
もしくは、人には害のない農薬でもミツバチにとっては有害かも知れない。

現実に
カーネーション、バラ、草花、野菜、果樹、の農場でミツバチが集まりすぎて困っている話はない。

ミツバチの好みと人の好みの違いだけなら良いが、

自然界の動植物は危険など予知する能力がある為、別の問題がひそんでいるかも!!

花と蝶が戯れる自然が好き。

2010年2月22日月曜日

右舞 左舞


昨日
左で文字を書いてみた。

自分の思いとは別に筆がはしる。
イライラする。

文字を書く時は  「書く」

絵をかく時は  「描く」

どうも私の筆は

「描く」 をつかった文字を求め  左で描いた。

字が上手すぎた。   絵にならない。


文章 会計 は文字をキチンと書くから書ではなく  習字の世界かも知れない。

右舞  うまい     左舞 さまになる の語源らしいが

うまく書けないから、左で左舞(さまになる)を狙った結果が字を書いてしまった。

絵では失格、字でも失格。

残念。


2010年2月15日月曜日

胡道  大きな国より

胡道

キクオさんの YouTubeを見た。

キクオさんは 『胡道』 という言葉を使っていた。
いい言葉・・・だ。

胡蝶蘭の道を究めれば 胡道 となる。

胡蝶蘭のよさは なにか ときめかせるものがある。
胡道 は 鼓動 につながる。

鼓動。

こころときめかせながら 
ひとに まごごろを贈る・・・。

胡道を極めた達人が丹精込めて作った胡蝶蘭は 
胡蝶蘭の鼓動と つくった人の鼓動と 贈る人の鼓動が
共鳴しあって ひとつの物語となります。

カタチがあって カタチのないもの
共鳴する 鼓動 をとどけたい・・・・。

話は展開するが・・・

西洋人は NATURE をいとおしく 求める。
日本人は NATURE を 自然 と訳した。
そこにあるもの・・・あったもの・・・それが自然。

中国人は NATURE よりも TAO 『道』 をおもんじた。
そして 日本人は 道(TAO)という言葉 を 道(DOU)という実質に高めた。

自然と道は かけ離れているようであるが・・
あるがままではなく さらに求めるものにまで 高める力
のことをいう・・・
西洋では それを ART といい 芸術 と訳されるが・・

東洋人の持つ 言葉の響きの 『道』 こそが
自分の生命と世界をかけて 自らの宇宙を形成するものである。

あるくから 道になるのではなく
歩こうとする意志が 道をつくる。

ただ わが道(DOU)をすすむ。




大きな国 引用

2010年2月10日水曜日

胡道 ブログに挑戦


初めてのブログです。

さて、結果は?

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